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妬みが生まれる原因:嫉妬と妬みの違いなど(社会的比較と思い込み)
嫉妬や妬みは古くから人間の悪しき感情として扱われています。
ダンテの神曲の中では妬み深い者の両目が縫われ、旧約聖書の中で起きるカインによる人類初の殺人もアベルへの妬みが原因として描かれています。
キリスト教哲学者のジョージ・アクアロが「ほとんどの罪深い行動の核は妬みで、この感情が他の戒律を必要とさせている」と述べるほどです。

ですが、妬みや嫉妬に関する科学的な研究は、ひと昔前まであまり多くない分野でした。
それが近年になり、行動実験や、fMRIを使った脳解析などで急速に解き明かされ始めました。
人間の誰しもが持ち、目を背けようとする嫉妬と妬みの心理を解説します。
嫉妬と妬みの違い
「嫉妬」と「妬み」この二つの言葉は日本語圏でも英語圏でも、普段は区別なく使われています。
ですが、心理学ではこの二つの感情を区別して、異なるものとして扱っています。
簡単に説明すると。
- 妬み=二人の登場人物、または二つの集団で成立する。自分より上位の何かを持っている人に対して、その差異を解消したい時などに生まれる。
- 嫉妬=3人以上の登場人物を必要とする。ライバルなどに人間関係を脅かされたり、自分が持っているものを奪いにやってくる可能性を持つ人を排除したい時などに生まれる。
つまり、自分の恋人が他の異性と楽しそうに話している時に感じるのは嫉妬。
すごくモテる人に対して感じる劣等感や不公平感のようなネガティブ感情は妬み。

姑(しゅうとめ)が息子を嫁に取られたと感じるのは嫉妬。
嫁が自分より若くて女性的な魅力に溢れていると姑が感じる劣等感などのネガティブ感情は妬みです。
一般的な発生頻度、ネットや社会的に問題が多いのは妬みの方です。
妬みの良性・悪性
「妬み」はさらに大きく分けて2種類に分類されます。
良性と悪性です
- 良性の妬み=自分の成長の原動力となる
- 悪性=相手を落とそうとする(匿名性が保たれる場合行動が悪化)
妬みはプラスの行動に転じる場合や、プラスな感情に派生する場合もあります。
妬みを感じた相手が、自分が思っていたより遥かに優れていると気づく、自分が妬むなんておこがましい、あの人の努力は凄い。
これらの妬みから派生して尊敬とあいまった感情が「憧れ」だとされています。
このように、妬みには様々な感情が混ざっています。
- 劣等感
- 不公平感
- 恥じ
- 葛藤
- 憧れ
- 自尊心や自己愛の低下とその保護
- 自己嫌悪
- 社会的比較
- 相応性/など
どんな時に妬みが生まれるのか
悪性の妬みが生まれるプロセスには以下のような要素が影響しています。
- 比べる=社会的比較
- 自分が平均以上だと思い込んでいる
- 劣等感などを感じ、それらを回復するために人を落とす
妬みが生まれる大きな要因はいくつかありますが、代表的なものは社会的比較です。
詳しく解説していきましょう。
社会的比較からくる妬み
社会的に比較して、自分が劣っていると感じてしまうと、その劣等感を回復しようと妬みが生まれます。
一般的な比較対象は
- お金
- 地位
- 持ち物
- 知性
- 異性からモテる
- 上司と上手く付き合っている同僚→またゴマ擦ってるよ。
- 平和を訴える活動をしている高校生に→社会の仕組みがわかっていない、やっても無意味。
- ベジタリアンが隣に座って→どうせ裏では肉食ってる、奴らは偽善者。
スタンフォード大学の心理学者ブノワ・モナンはベジタリアンの存在を認識するだけで、雑食主義(一般人)の自意識が高まることを発見しました。
ベジタリアンよりも雑食主義な自分達が道徳的に劣ると感じられるためだそうです。

このように、お金や地位以外でも、社会的に見て良い行動(付き合い、平和活動、倫理的行動)をとる人を見るだけで劣等感が刺激され、それを回復するために妬みが生まれます。
これらが、人と比較して劣っていると感じた自分を守るために相手を落とす、悪性の妬みの代表例です。
さらに、悪性の妬みは、妬んでいた相手が不幸になると大きな喜びに変わります。
「人の不幸を見て喜ぶ」感情をシャーデンフロイデと呼び、この感情を感じるためにわざわざ相手を貶め、攻撃する行動に出る人もいます。

「隣の芝は青い」という言葉があります。
知らない国の大富豪が持つ豪邸の芝が青くても妬みは起きにくいです。
このように比較する対象は自分の身近な人、自分の得意分野などでより強まります。
自分を平均以上だと思い込む
人間のバイアス(思い込み)の中に、さらに妬みを強める要因があります。
社会心理学者のマーク・アーリックは様々な実験で「人は他者と自分を比べるとき、大抵自分の信念に都合よく考えてしまう」ことを明らかにしています。
それは「平均以上効果」や「レイク・ウォビゴン効果」と呼ばれるものです。
これらの代表的な実験結果は
- 85%の学生が他者とのコミニケーション能力で自分を平均以上と評価した
- 大学教師の94%は他の同僚より自分が優秀であると評価した
- 自動車の免許を持っている人の90%は平均より高い運転技術を持っていると回答した
- 女性の60%男性の70%は自分を平均より頭が良いと思っている。
これらの結果は「道徳的か」「ユーモアがあるか」など主観的な物から「数学の成績は」のような一見客観的な物まで現れます。
本当に全員が自分のことを正しく評価できていれば、実験結果はもっと50%に近くなるはずです。

アメリカのコメディアン「ジョージ・カーリン」はこのことを上手く表現しています
「心当たりはないかい?運転していて、自分よりも遅い奴はグズで、自分より速い奴は狂人だと思うってことに」
これらの思い込みは、私たちの自尊心を頑健に維持する役に立っています。
ですが、社会的比較を行う際には自己認識との差を感じ、強い不公平感や劣等感を生み、それを回復するために妬みが生まれ、相手を落とす言動や心理が生まれるのです。
例
- YouTuberは楽して稼いでる、あのくらい私でもできそう
- アイツなんかが評価されて、誰も私を理解してくれない
- あれが流行ってるなんて周りは皆な馬鹿なんじゃないの
妬みを誘発する報道など
芸能人のスキャンダルなどを扱う週刊誌やワイドショーでよく見かけるのは、スキャンダルについて書く前に「どれほどその人が成功していたのか」「どれほど裕福で良い思いをしていたのか」
など、冒頭で読者が少し劣等感を感じる事柄に触れ、妬む理由を提供する方法です。
私が興味深く感じるのは将棋の藤井聡太先生についての報道です。

「将棋が強い少年がいる」これだけでは多くの場合妬みは起きません。
将棋で強くなりたいと思っている人が少なく、将棋のルールすら知らない人も多いからです。
ですが報道の仕方が変われば妬む人も変わります。
「若いのにベテランでも敵わない」となると、会社などの上下関係で正当な評価を受けていないと感じる人は妬み始めます。
さらに「藤井聡太の年収・獲得賞金」などについての報道が増えるほど、皆んなが欲しがっている「お金」についての妬みが広く起こってしまうのです。

また、報道の量にも妬みへの影響がありそうです。
「藤井聡太先生の将棋の強さ、凄さ」なんて私も含め一般人には到底理解できません。
それが知性や教養、文化的な劣等感を生み「将棋なんてただのボードゲームじゃん」「藤井は将棋は強くても〇〇はダメそう笑」のような妬み方が増えているように感じます。
そんな事を心配する以前に「中学生なのにお昼ご飯が高すぎる」と言うネットの意見まであるようで、人の妬みの深さを感じました。
まとめ
妬みを感じても自分を責めることはありません。
誰の心にもある普通の感情です。
ですが、妬みに突き動かされ、時間や体力を無駄にして人を攻撃するより、自分の成長のために使う感情にできたほうがより有意義だと思いました。
まとめ
- 嫉妬は3人妬みは2人
- 妬みには良性と悪性がある
- 他者との比較で生まれた劣等感などが妬みに繋がる
- 自己評価が高い思い込みで不公平感も強まる
- 妬みを利用した報道やビジネスもある