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認知的分業とスキーマ!複雑な世界を全て理解しなくても生きていける能力が有るから思い込みも多い
近年注目されているのが「知識や情報に対する姿勢や態度、性格」の重要性です。
特に「知識に対する謙虚さ=知的謙遜」はgoogleなどの企業も社員採用で重視しています。
今回は知的謙遜から遠ざかってしまう原因の1つ
について解説しようと思います。
この記事のポイント!
- 認知的分業が発達した
- 外部の知識も利用できる脳の仕組み
- 脳のスキーマと推論
- 複雑さへの対応と知識への錯覚
人間の発展に必要だった「認知的活動を分担する=認知的分業」
人間と他の動物との違いは沢山あります。
中でも違う点は「認知的活動を分担する=認知的分業」を高度に行えるというところです。
認知的分業とは
=それぞれの専門が集まって1つの作業を役割分担できる能力
- 複数の演奏者が集まって1つの曲を奏でる
- トヨタの車は3万パーツ以上からできている
- スポーツで各ポジションの専門家がいる
というイメージです。

人間は狩猟時代、野生の獲物を追いかけていたときから
- 獲物を追い詰める役割
- 罠を作る人
- 待ち伏せする人
- 肉を解体する人
など専門的な役割を分担していたことが知られています。
皆が何を目標としているのか=「志向性」を理解して
知識を共有し、1つの目標を達成していたのです。

この専門知識を分担する能力のおかげで
集団の力を発揮できる!
- 人間より大きな獲物を捕まえる
- ピラミッドのような巨大高度建造物を建てる
- 複雑な機械を組み立てる
などのことが可能になったのです。
現代的なところでは
認知的分業
- 様々な専門家がいる=弁護士・医者・政治家・建築家
- 他の部署の事を詳しく知らなくても会社・組織として動ける
- SNSなどで他の人の情報を参考にできる
この、外部の知識・情報を共有できる能力で
私達の暮らしは便利に、より広い知識と繋がることが出来ます。
しかし、この能力が知識を多く見積もってしまうことにもつながってきます。
私達は「知識」を脳の中にあるか、外にあるか区別していない
私達は「知識や情報」を頭の中にあるか、外にあるかで区別していません。
そう言われると

と驚かれるかもしれません。
ですが認知科学によると、人間の知識は脳の外にも及んでおり
頭の中と外にある情報は「シームレス=継ぎ目がない」
状態であり、明確な線引が行われていないと考えられています。

自分の脳に入っている情報と
外部環境に存在する情報とを連続体として扱うような設計になっているのです。
この状態のおかげで人間は知的分業を行うことが出来ます。
しかし同時に、頭の外にある知識と、頭の中にある知識の錯覚が引き起こされるようです。
詳しく知らなくても知識を利用できる!脳の「スキーマ」
人間には専門的な人たちが集まって一つのことをやり遂げる=認知的分業ができます。
そして、他の専門家たちの知識もシームレスに利用できます。
仕組みを知らなくても利用できる
- スマホの仕組みを知らなくても使える
- 他の部署のことを知らなくても会社として機能できる
- 地球が丸いことを確認したことがなくても、地球は丸いと信じられる
その際、私達は専門家達ほど「知識の深さ」を持っていなくても情報を利用できてしまうのです。
それを助けているのが「脳のスキーマ」と呼ばれる能力だと考えられています。
脳のスキーマについて動画で解説!
動画でも解説していますが
「脳のスキーマ」とは=情報を枠組みで捉える能力のことです。
例えば皆さんが

と言われたら
- どんな服装で行くか
- どんな持ち物で行くか
- どんなテンションで行くか
- お焼香はどのように行うか
などは直ぐに思い浮かぶでしょう。
これは「脳のスキーマ」が「お葬式」を枠組みとして捉えているからです。
なので別に
詳しく知らなくても良い
- 数珠(じゅず)を持つ仏教的な意味
- お焼香の動作がもつ意味
- 葬式の時の他国のテンションが持つ文化的な背景
など専門知識が無くても参加することができるのです。
「お葬式」を「枠組み」として捉え、参加者として認知的分業を果たし
「死者を弔う」という目標を集団で達成できるのです。

この様に「スキーマ」で枠組みとして捉えることで
詳しい仕組みを知らなくても、物や情報を利用することが出来ます。
- 車の仕組みを知らなくても運転できる
- スマホの仕組みを知らなくても操作できる
- 法律や税の仕組みに詳しくなくてもなんとかなる
脳のスキーマの弱点
脳のスキーマのおかげで情報を枠組みとして捉え
他の専門家の知識を利用することができます。

しかし、これが知識を多く見積もることにも繋がってしまうのです。
スキーマとして捉えることで

「AIって知ってる!人工知能でしょ!」

のように自分達が知っていること「枠組み」として捉えていることを
「知識として理解している」と錯覚しやすくなってしまうのです。

「木」には無数の「枝」があり「枝」には沢山の「葉」があり「葉」には葉脈や細胞があります。
その集合体を「山」という枠組みで捉え全体を詳しく理解したと錯覚してしまうようなものです。
複雑さに対する対処法としての枠組み
先程の「山」にも例えましたが
世界はあまりに複雑で全てを把握するのはとても不可能です。
パソコン1台はおろか
家にある家電の仕組みを全て厳密に理解している人はおそらくいないでしょう。

時代が進むほど理解しないといけないことが増えていくのです。
ですが「脳のスキーマ」や他にも「推論」する能力などのおかげで
情報のほんの一部しか理解していなくても生活できる。
つまり
- 物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し
- 物事の仕組みを理解したと思いこんで生活を送り
- 世界の複雑さを無視するような傾向
に陥り「知識に対する謙虚な姿勢」から遠ざかって行くのです。
ポジティブに捉えると
複雑さを認識できないことで、それに耐えることができるとも言えます!

子供に「なんで!?」「どうしてなの?」と質問攻めに合うと

「大人になればわかるよー」
「そう言うもんなんだよ〜」
と答えたくなります。
子供に向かって「詳しく知らないんだ!」とは少し言いにくいです。
ですが大抵の場合、私達は
本当に知ってる?
- 見たこと有る
- 聞いたこと有る
- 利用できる
- 身近にある
物などを、自分の頭の中で詳しく仕組みを理解している=知っていると感じてしまうのです。
この勘違いは「認知的分業」や「スキーマ」と言った脳の便利な機能の弱点とも言えます。

複雑さを理解しなくても生活できることと、知識を多く見積もる錯覚は表裏一体なようです。
次回は深く理解しているという思い込み「説明深度の錯覚」について解説しようと思います。
まとめ
物事を枠組で捉えることができる
外部の知識を利用できるなどは人間の優れた能力です。
ですが、実際より自分が多くを知っている、深く理解しているという思い込みは
時に成長や探求の妨げになります。
さらに「なんであんなに簡単なことを出来ないんだ!」というように
複雑さや難しさを理解できないことから相手を攻めてしまう場面も見られます。
知的謙遜の要素の1つである「自分の知識の限界を認識する」というのは
人間の脳の性質上とても難しいことです。
ですが知識の限界を意識し、謙虚な姿勢をとることのメリットも多いので
私自信が理解するためにもブログで解説していこうと思います。