共感にも種類がある!3種の共感と使い分けを解説【共有/考える/配慮】

共感にも種類がある!3種の共感と使い分けを解説【共有/考える/配慮】

 

【共感】と言う意味をネットで検索すると

 

 

  • 他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること
  • 他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す

 

など、やや定義が曖昧だったり【同感】と同じような意味で解説されています。

 

 

 

 

それもそのはず、心理学者達の間でも

【共感】の定義は十年前から議論され続けている未完のテーマなのです。

 

 

未だに定義の細部では揉めているようですが

大筋としては、ほぼ全ての研究者の間で意見は一致しているそうです。

 

中でも研究者の間ではっきりしていることは

 

【共感】とは一つの反応ではなく、人が示す複数の反応を包括的に指す言葉

 

だということです。

 

 

今回は共感に内包される3つの要素

 

  • 共有する
  • 考える
  • 配慮する

 

の違いを解説しようと思います。

 

 

①共有する共感(体験共有/情動的共感/個人的苦痛)

 

まず1つ目は共有する共感です。

 

共有する共感には

 

  • 体験共有
  • 情動的共感
  • 個人的苦痛

 

などが含まれています。

 

中でも最も代表的なのが体験共有です。

 

体験共有

 

相手の

 

  • 表情
  • 身体ストレス
  • 気分

 

など、ポジティブなものも、ネガティブなものも、コンマ数秒で脳が感じ取り

相手の苦痛や快楽に対し、自分がそれを体験しているような反応を示すこと。

 

 

間近な問題は極端になる

 

 

これが「体験共有」です。

自分と相手の境界が薄れ、深く踏み込んだ共感です。

 

体験共有は

  • サル
  • ネズミ
  • ガチョウ
  • 乳児

 

など他の動物種でも観測され

進化の面ではかなり古い時期に獲得した反応だと考えられています。

 

 

進化 アイキャッチ

 

 

まさに共感のイメージそのもの

共感=体験共有の意味合いで使われる場面が多いです。

 

体験的共感は心理学では「情動感染」神経科学では「脳のミラーリング」と呼ばれることがあります。

 

 

スタンフォード大学の共感の授業――人生を変える「思いやる力」の研究

 

 

②考える(メンタライジング/認知的共感/心の理論)

 

2つ目は考える共感です。

考える共感には

 

 

  • メンタライジング
  • 認知的共感
  • 心の理論

 

などが含まれます。

 

例えば、人形をプレゼントされて喜んでいる子供がいたとします。

 

 

 

 

私達は喜んでいる子供を見て自分も嬉しく感じます(=体験共有)

それと同時に

 

たてがみ君

「このキャラクターがそんなに大好きだったのかな?」

「どのくらい嬉しいのかな?」

「この人形とどう過ごすのかな?一緒に寝るとか?」

 

など相手の感情や心の内を思い浮かべます。

 

子供の行動や状況に関する情報を集めて、相手がどう感じているかを推測します。

 

これが考える共感です。

 

 

脳の血管

 

 

この推測には「認知」の力を使っているので「認知的共感」と呼んだり

他人の視点を具体的に想定すると言う意味で「メンタライジング」と呼ばれることもあります。

 

体験共有と違い、認知的共感やメンタライジングは脳の複雑な機能

ほとんどの動物には備わっていません。

 

自問自答

 

 

進化においても後から出現した共感と考えられています。

乳児期から備わっている体験共有と違い、メンタライジングの取得にはある程度時間がかかります。

 

メンタライジングの推測による共感を行うときは

自分自身の知識や優先順位を他人に投影して決めつけてしまっていないかにも注意が必要です。

 

③配慮する(共感的配慮/動機的共感/コンパッション)

 

3つ目は配慮する共感です。

 

配慮する共感には

 

  • 共感的配慮
  • 同期的共感
  • コンパション

などが含まれます。

 

先ほどの子供が外にまでぬいぐるみを持ち出し

誤って水溜りにぬいぐるみを落としてしまって泣いているとします。

 

 

自己批判的になる子供

 

 

それを見た私達は、同じように悲しい気持ちになり(体験共有)

子供がどれほど悲しいかを考えます(考える共感)

ですが、それだけでは終わりません。

 

私達はおそらく

子供の気持ちが回復することを願い、自分にできる行動を考えます。

 

 

優しく接してくれる人を想像する

 

 

これが今注目されている「共感的配慮」です。

 

「共感的配慮」は長い間

西洋の研究者の間で「体験共有やメンタライジング」ほど注目されてきませんでした。

 

しかし東洋思想、中でも仏教の考えに注目し始めた現代ではかなり注目が集まっています。

 

「共感的配慮」は仏教の「慈しみ=コンパッション」の形式と密接に結びついています。

 

 

セルフ・コンパッション[新訳版]

 

 

3つの共感の使い分け

 

共感の種類が違うと、活動する脳のシステムも異なってくるそうです。

 

さらに共感を種類別に考えることで役に立つ場面や使い分け

磨くべき側面も意識しやすくなります。

 

 

  • 共通点の少ない相手に共感する時=メンタライジング
  • 医師に共感的配慮は必要だが、体験共有し過ぎると燃え尽きる
  • 自閉症時はメンタライジングが苦手でも、共有配慮を示す場合がある
  • サイコパスはメンタライジングが得意でも共有配慮は行わないケースが多い

 

私達が共感と関わる場面で

 

 

たてがみ君

「共感的配慮はした方がいいけど体験共有は控えておこう」

「彼のメンタライジングが私の感情とずれているみたいだから改めて伝えよう」

 

など共感の種類を意識して、使い分けることが必要な場面も多いようです。

 

まとめ

 

体験共有するから配慮が生まれるように

共感に区別がある一方で、それぞれの共感は相互に深くつながってもいます。

 

ビジネスのシーンではメンタライジングが強調される場面が増えているように感じます。

 

他人をケアする職業では、共感といえば体験共有が意識されすぎて

共感疲労や燃え尽き症候群のような事例が増えてしまっているようです。

 

そして他者や自分自身に対する共感的配慮がセルフケアや幸福度に関連していることを示す研究結果が増えてきています。

 

私にとって共感を区別する考え方は、共感に感じていた違和感をスッキリさせたり

これからの研究分野の発展を感じさせてくれてとてもワクワクするテーマでした。

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です